ビカクシダネザーランドを流木に着生させる

ビカクシダネザーランドを流木に着生計画始動です

おはようございます。台風が過ぎて、激しく暑いですねー。

植物たちも、連日の30度を超えてバテ気味。。

とはいえ、エアプランツやビカクシダ達は暑さも湿度もいい感じなのかとても元気です。

右から、ビカクシダヴィーチー、リドレイ、ビフルカツムです。

そんな我が家にネザーランドが!

ネザーランドはかなり安い品種。園芸店でコロッと買えます。

本当はちょっとお高めのビカクシダを買いたいのだけど、まだ勇気がでません。

こちら。もし小さな株を購入するときは

葉っぱだけでなくて、貯水葉が下に展開しているものを選んだ方が良いです。

丸い葉っぱがでているか、ということ。

リドレイでいったら

鹿の角の部分ではなくて、こちらの丸い下向きに着生している葉っぱの事です。

これがあると、水を保持してくれるので枯れにくいです。

ビカクシダは、水と湿度、温度が必要ですからね!

ムシムシジメジメ、最高なのです!

さて、

乾燥水苔を水で戻したあとは

ただ巻きつけるだけです。

この時、苗の土はある程度ついたまま私は巻いちゃいます。

だから、まんまる、、笑

もっこり

横から見ると

苗の土の周りに水苔をつけて、くくりつけるだけ。

うん、多分流木のところに根が来るまでかなり時間がかかるんじゃないかと。

良いんです良いんです。

楽しいんですもの。

ゆっくりどうなるか見ていきましょう。

うちの猫がプランターの下で涼んでいました。笑

可愛い〜

こういう日常が人生を豊かにしますね。

さ、今日もお仕事頑張りましょう!

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エアプランツの着生って簡単!春〜秋が着生の季節

すごい台風でしたね〜、我が家のベランダはというと。

全然大丈夫でした。ベランダの壁沿いっていうのはあんまり風の影響をうけないみたい。

ハンギングしているエアプランツ達もなんのそのです。ひとつも飛んで行かなかったよ。

ベランダの植物を眺めるのが毎日の楽しみなのですが、春から着々と進んでいるエアプランツ着生計画。

紐でくくったり、ワイヤーでとめたり

水苔を間に挟んでみたりいろいろしてみたのですが、何が1番効果的かわかりました。

それは

動かないように固定すること。しかしぎゅっとしない、乗せるだけ、でも動かないが大事。

エアプランツって放置しておくと

こんな風に根っこが出てくるんですけど

分かりますか?茶色いかさかさになってしまったのは死んでいる根っこ。

そのほかにまだ薄緑色の根っこが二本出ているの見えますか?

先端が黄緑色の、新鮮な根っこです。

茶色いカラカラの根っこは死んでいるのでこれをいくら固定しても着生しませんが、新しい根っこが出てきたらこっちのもの。

こんかいはこちらを

チランジアトリコロール

こちらを

コルクのいい感じの穴の所にぶっ刺しておきました。

それだけ。笑

トリコロールは硬い枝部分があったのでそこを刺しておきました。

たとえば100均のジュンセアだったら

こんな風に横にして、軽く麻ひもでくくってハンギングにはせず。水平にして放置。

そすると、みて、みてみて、根が出てきてる。

トリコロールも

伸びて自分で根をはる場所を探してます。

完全に着生すると、こんな感じ

木にへばりつくように根がはります

これはブルボーサちゃん。

これは付け根をワイヤーで固定して放置しました。

こんなにも着生がうまくいくとは!

ポイントは

春にコルクや板につけて、水平にして、動かさない、そして放置。

です。

こんな小さな木片でもつきます。

乾いていて表面がザラザラの方が着生しやすいですね。

こちらも。こちらはブラキカウロスちゃん。

着生させると成長も早いし

株自体が元気になります。

根っこが出るのが春。

そしてなにより、ベランダで管理すると本当に元気になりますよ。

風が1番大事です。風が1番必要。

おためしあれ!

怒りを表現するのは私にとっては、優しさだった。

すごい気づきがあったのでシェアしますね。

それは、私にとって、怒りとは優しさでもあったということ。

怒りを感じるのは仕方ない。でも怒りをぶつけるのは良くない。

そんな事を言われたり、見聞きした方は多いのでしょうか?

私は怒りを感じた時、怒りをそのまま出す人でした。

感じ悪く反応する。

言い返す。

聞き返す。

とにかく、怒りのエネルギーを向けられた時

そのままのエネルギーを返す人だったんです。

て、その度に

あーーあ、またやってしまった。

なんなんだろう、次は言うのを我慢しようってなって怒りを感じても、笑って受け流したりしたのですが

まぁ怒りが腹のなかに溜まる。

モヤモヤが胸に溜まる溜まる。

最悪の気分なんです。

で、ですね。

私の怒りを感じた時の対処法を見てみると

怒りをふつふつとした怒りで表現するか

笑って怒りなんて感じていませんよーって表現するかのどちらかだと気がつきました。

これって、すごく極端ですよね?

なぜ、怒りを表現しないと決めたら、怒ってないですよアピールをしてしまうのか。

スルーする、一度黙る。って言う方法もあるはずなんですよ、だけどそれが出来ない。

つまり

間髪入れず反応を示してしまう傾向にあるんです。

良い反応でも、悪い反応でも、きちんと示そうとする。

なんでだろうと思ったら

無視出来ないから。

なんです。

無視が1番愛のない方法だと思っている。

からです。

無視が1番傷つくと分かっているから、相手に無視してると思われたくなくて

ちゃんと反応する。

それは私にとってある意味で愛ですし、優しさだったんですよ。

あなたの言うことに反応しますよ

あなたの存在を否定しませんよ

あーそっか、と思ったら

すぐに反応してしまう自分を認められたんです。

どうしてあんな風に返しちゃったのかなーとか落ち込むこともあったんですけど

それは、私にとっては優しさであり、愛の表現の1つだったんですよ。

あーなんだ、なるほど。だからそんなに自分を責めること無いんだ。

さて、これが気づいたところで

愛の表現方法は様々なので

すぐに反応してもしなくても別にそれは選べるわけですよね。

怒る怒らないに関係なく。

無視する。スルーするっていうのをやってみる。

やったことのないことをやってみる。

私の場合は、反応しないをやってみる。

気付けて良かったです。

子供を産んでいないという罪悪感を手放す

セドナ、バーシングルケーブ

子供を産むか産まないかって一度は悩んだりすると思うのですが

私も一時期悩んだ時期があって

子供を産まない自分は親不孝なんじゃないかとか

産みたいと思った時にはもう産めない年齢になっていて後悔するんじゃないだろうか

とか罪悪感と、不安が混じり合った感情になる事って私の場合よくあるんですね。

見ないようにしてたんですけど、そろそろ向き合って見ようかと思ってるんです。

子供自体はとても好きなので、子供ができたら大変なこともあるだろうけど、将来が楽しみだろうなとは思うんです

でも

育児に関してはまったくもってやりたくない。2時間おきの母乳?夜泣き?癇癪?

絶対イライラしてしまって、子供を叩いてしまうかもしれない

家を壊してしまうかもしれない。

そんな不安はやってみなきゃわからないよ

産むが易しよ

母親なら乗り越えられずはず

良い旦那さんに協力してもらえば良いじゃない

なんて言葉が浮かんでくるのですが、まったくもって不安が解消されないどころか

自分の子供を可愛いと思えないかもしれない

母になんてなれない

なんて気持ちが湧いてきて、全然ダメ。

ほんで、そこまで言うと、大抵の人は2種類の言葉を言います。

そんな風に思っているうちは子供なんて無理ね。

母親になったら自分の子供が世界一可愛いって思うわよ!

に分かれる。

おうおうおう、言ってくれたなと。

じゃあ子供なんか産まなきゃいい!

そう、その通りです。だから私は子供を持たないと言う選択をしているのです。

きっと、産んでほしい、子供を持つ幸せを感じてほしい、孫が欲しい、などあると思うのだけど

私は、ある程度育てる責任が親にあると思うから

自分がその覚悟が出来ないと踏み出せない領域だと思ってます。

そして

母なら子供が1番可愛いはず!

なんていう幻想じみた呪いのような理想が、母親を苦しめているかもしれないじゃないか。

自分の子供を愛せない親だっていると思うし、親を愛せない子供だっているとおもう。

子育てってそんなに簡単じゃない。

自分を優先したいうちは、きっと子供を邪魔だと思ってしまう。

だから、産めない。

子供を産まない事について、自分を責めて

なんて薄情なんだ

なんて親不孝なんだ

子供を可愛いと思えないなんて悪魔だ(言い過ぎか)

自分は女性としてどこか欠落しているのかもしれない

思うこと、それぞれあると思うんです。

罪悪感で自分を責めて、つらくて仕方がない。

でもね、本来産むか産まないかは自由ですよね。罪悪感を感じる事もないはずなんです。

そして、ひとつの結論に達する事で

私は自分の罪悪感から解放されました。

こんなにも、真剣に自分が育てられるかを考えた上で、無理だと判断した自分は偉いよね。

産んでみて、やっぱり無理だって手放すよりは全然良いよね。

それだけ、自分の子供のことを考えてるっていうのは

それもまた愛の一種なのでは?

でした。

そう思ったら、私は自分のことを誇らしく思えたんです。

なんだ、私

まだ見ぬ子供に愛があるじゃんって。

それだけ真摯に考えてたんだなって。

長年の罪悪感から解放された、自分を許せた

そんな考え方でした。

悪口を言うのも、聞くのも嫌いなのは、、

人の悪口って、いきてたら言う事も聞く事もあると思うんですけど

今の私は、悪口を言うのも聞くのもすごく嫌なんですよ。嫌いなの。

今の職場の上司は人の悪口を息を吸うかのように言う人なんだけど、上司はそれを悪口とは思ってなくて、真実を言ってるだけって感じで、自分が悪口を言ってるって認識はしてないのね。

あの人は適当だから信じない方が良いとか

あの人はよくミスをするから注意しててとか

あの人は心が病んでるんだよね

とか、聞いてるだけですごく嫌な気持ちになるんですけど

上司がそう話しかけてくるので

へー知りませんでしたーとか

そうですか?しっかりしてるイメージですけどねーとか

そうなんですねーー

とか流しているのだけど

すごい腹たってくるの。

モヤモヤが、お腹の中に渦巻いていく感じ。

うーーーむ、やだなーあの上司と一緒に仕事したくないなぁっていうのが本音。

とはいえ、私もいろいろ考えがあってその職場に残っていることを選択しているので

なんで嫌なのかなー?を考えてみることにした。

私も悪口を言ってた時期があるよなぁって。


悪口はただの会話のきっかけや、話題にすぎない。

ってことありませんか??

なんか暇だから、共通した人のの世間話でもするか。

なんですよ。

あいつが悪いとか。悪くないとか。

実際適当か、適当じゃないかとかはおいといて

その人と共通する人に対しての、いつかの自分の印象をシェアしているだけ。

なんじゃないか??って思ったんです。

話す事がないから、共通する話題を探したら

共通する人の悪口になってただけ

悪口というか、その人に対するいつかの印象、多くは印象的な事は自分にとってネガティブなことが多かったりするので、ネガティブな情報を話しているというだけ

つまりだ

あの人はこうこう、こういう人なんだよねとか

あの人こないだこんなミスしてさとか

あ、上司がそう思った日があるんですねーー

って事なのだ。

そしてかつての自分も同じ事をしてたのだ。悪気なんてなく。その場を盛り上げるために。

悪口って盛り上がりますもんね。

悪口を聞くのが嫌になって、言うのにも罪悪感をかんじるようになってきたならば

悪口を言ってた昔の自分を、許す時期なのかな?と思います。

悪口って

場合によっては、その人が優位に立ちたいとか、自分が正しいを主張したいとか、傷ついたから共感して慰めて欲しいとか

色んな理由があって話す事も聞く事もあると思うのだけど

ただ、話題がない場合もあるんだな

って選択肢が1つ増えると

話題がないだけかーって思ったら、無理に話す事もないし、気が楽だなと。

今日もその上司の所に行くのだけど、このパターンでちょっと試してみようかなと思います。

少しずつ、日々成長ですね

心が成長すると、アトピーも日々良い感じです。

モヤモヤが内側から自分を壊していくからね。

モヤモヤと向き合って、表に出しいく作業。

少しずつ、やっていきましょ。

私が変わっても、変わらない家族はいるよ。

よくね

引き寄せの法則とか鏡の法則とかあるじゃないですか。

自分が変われば、家族は変わるとか、夫が変わる。両親が変わる。子供が変わる。

でもね、変わらない両親も

変わらない夫も

変わらない子供もいますよ。

だから自分の中を探し続けて疲れるのやめましょうよ。

両親が変わらない、この現実を作り出しているのは私だ。

私の何がこの現実を作り出しているのだろう

私の何がいけないのだろう

と自分を責めるのやめましょうよ。

そして、鏡の法則を使ってなのか、宇宙のどうのとか、潜在意識だ、ハイヤーセルフだか知らないけど

それはあなたの内側が作り出している事

あなたの内側に目を向けて、あなたの内側を変えた方が

現実を変えようとコントロールするよりも簡単です。

とかなんとか

うるせーーやって私は思うんです。

そういう部分も確かにあるでしょう。

内側を変えたら、外が変わる事だってある

だけど、変わらない外側もありますよ。

そうした時に

前の自分には戻るか、戻らないのかを決める権利が自分にはあって

どんな現実を見たいのかを決めるのかも自分にあって

何を選択するかという話なだけで

変わらない外側を変えるために、自分を変えなきゃ

自分の中のどこにこの現実を生み出す何ががあるのだって

迷い込んで今を楽しめなくなるよりも

ま、変わらん人もいるよなって

ま、じゃぁ自分は距離を置こうとか

ま、じゃあ自分はこの職場を離れようとか

さらっとつぎの楽しい場所へ移動した方が、心が楽じゃないですか?

この人とは今は難しいなー離れよ。

とか、別にあったって良いじゃないか。

友人では平気でそういうことが出来るのに

家族となると、内側、内側をやっきになって変えないといけないような気がする

そんな事はない。

親であっても

離れたって良いし

夫であっても

離婚したら良いし

子供であっても

距離を置いたって良いと思うんです。

一時的にでも良いから。

時間が経ってまた会いたくなったら会えば良いし

また自分の内側の中に何が見つけたらその時外せば良いし

一生懸命頑張って

両親と良い関係を築こうとしなくても良いし

夫とラブラブできなくて良いし

子供と仲良くなれなくても良いよ。

だから私はそれを強要しようとする人が嫌いです。

ほっておけ

その人の人生だ。

その人は自分で答えを見つけるんだから。

恥ずかしい、認めたくない自分を認めるには。

あの人嫌い!!

の中に正解があるとは良く言うけれど

私、実は男性のある行動がとても苦手だったんです。

ある行動とは、、、

俺ってすごいだろ!俺ってこんなこともやっちゃうんだぜ!!的な武勇伝。

武勇伝、武勇伝、武勇伝でんででて、、、やめましょう。

それを聞いても、はー?何言ってんだろ、ドン引き、、ありえない。カッコいいとか思ってるんだろうかって思ってました。。

思ってたにゃ?

そして、心底軽蔑し、嫌ってました。認めてほしいだなんて器の小さな男、、!!って。


その軽蔑している行動こそ、認められない自分だったりする。

武勇伝を語る男性が大っ嫌い!

と言いながら

私が女友達にしてることは、武勇伝でした。

ガーーーーーン

ガーーーーーーーーーン

ガガガガーーーーーーーーーーン

最近ちょっともやっとする事があって、なんでだろーなんでだろー

やだなーやだなー怖いなーって思って自分の内面を見つめてみたんですよ。(稲川淳二風

そしたらいた。

好かれたくて

ちょっと盛ってる武勇伝を話したくなる私。

すごーい!私にはそんな事できなーい!

みたいなことをさらっとやってのける私。

カッコいいでしょ?

みたいな私、、!!!

ギャーーーーーーー出たーーーーーオバケーーー

的な!!的な!

あー恥ずかしい、あー恥ずかしい

アーーー恥ずかしい

を感じたら

なんか、そんな自分が可愛く思えたんですよ。

好かれたかっただけなんだなーー

すごーい、かっこいいーって思われたかったたけなんだなーーーって。

そしたらね

何が起こったかと言うと

急に

満たされた感覚に包まれた。

自分で自分を認めるって、こんなにも満たされるのかと

一瞬で、満たされるのかと。

誰かにかっこいいって言われなくても、思われなくても

かっこいいって思われたかったんだと自分が自分で認識するだけで

こんなにも満たされるのかと思いました。

私にとって快感なのは

かわいいね、よりも、カッコいいねで

そんな事普通出来ないとか

よくそんな事が出来たねとか

そう言う言葉がほしくて

そういう現実を作り出していたのかなーとも思うわけです。

やー欲しがるね。

だって嬉しいもんね、そこ褒められるの分かってるから

そこ出していくよね。

そして欲しい言葉を引き出そうとする。

今回は、その欲しい言葉が引き出せなかった事でモヤモヤを感じ

なんでだろうって思ったら

カッコいいね、すごいね、そんな事できなーいって言われたいとかいう

クソカッコ悪い、クソ恥ずかしい自分を見つける事が出来たわけです。

あー恥ずかしい。

恥ずかしい、ついやっちゃう自分の行動、認めたくない自分って

大っ嫌いな誰かとして現実に現れる。

認識してほしくて

現実に他人として現れる。

あーそういうかとなんだなって気づきがあったのでシェアします。

自分、という存在こそ魅力になる。

庭に咲いている可愛いクリスマスローズです。

下向きの花がすごく美しく思えるように

下を向いている人も、とても美しく見えたりするのかもしれない。

ただ寝転がって上を見上げる猫の顎がとてもかわいいみたいに

ただ寝転がって上を見上げる姿ものものがすごく素敵に思われてたりするのかもしれない。

エアプランツ の根っこが生えて着生しようと頑張る姿に感動するみたいに

地に足をつけて一生懸命頑張る姿が誰かを感動させているかもしれない。

強い日差しがキラキラ輝いていて美しいと思う

そこに存在するだけで、誰かにキラキラ輝いて美しいと思われているのかもしれない

自分では気がつかない

自分。

自分では否定してた

自分。

それが誰かを喜ばせてるかもしれないって思ったら

なんだかホッとしませんか?

嬉しいなって思いませんか?

気がついていても、気がつかなくても

とても魅力的なんです。

素敵です。

存在そのものが

魅力です。